手に入れた多くのものを守ることに、いつしか一生懸命になっていた。それは仕事であり、肩書きであり、給与であり、キャリアであり、常識であり、そしてそれらによって守られた日常。その中では、人は傷つくことも、孤独に思うことも、お金の心配をすることも、自分が無能だと痛感することもない。私もそうやって、いつのまにか身動きが取れなくなっていた。


 自分らしく生きたいと願って、一生懸命に生きた五年間。いつからか手にした、自分が「人生で真に望んでいたわけではない荷物」を守ることが目的になってしまっていたことに唖然とする。

 たった一度の人生なら、何かを守る人生ではなく、大切なモノやヒトを精一杯大事にしながら、ワクワクして何かを探す冒険の人生がいい。自由に自分らしく、その道を突き進む生き方を貫くため。


必死に大切にしてきたキャリアなんかよりも、大切なものが人生にはあって、それは私にとってまっすぐに自分の人生を歩むことなのだということ。自分に嘘をつかず、自分の人生を生き抜くことよりも大切にしたいものは、この世にはなかった。


私は、足りないと思い続けてきた自分の人生が、もうすでに十分満ち足りていることを知った。そして、「自分の意志を持って生きる」ということを自分が一番失いたくないと思っていることだけは、決して見失わずに生きたいと願った。それ以外を失ったとしても、山川咲という道をまっすぐに生きることだけを失わなければ、私の人生は大丈夫なのだと気づいたた。

 

 

私は人生の答えを探す旅をやめた。何かすてきで大きな未来へと、私は自分の生き方を大切にしてただ進んで行くのだ。そこで、一生答えのでない未知な自分自身と、未知な未来を、私は探求し続ける。それが人生なのだと思えた。自分と向き合う人生は美しく、尊い。多くのアーティストたちがそうしてきたように、人が自分と向き合うことで、クリエイティビティは生まれていくと信じている。

 

挑戦して生きることは、じつは葛藤して生きるよりもずっと楽だった。そして充実していて、自分の人生はすばらしいと思えた。